全国保育団体連絡会

合研集会基調報告(案)

52回目の合研集会は、コロナ禍によって、残念ながら集会を中止せざるをえませんでした。が、こうした状況の中でも、各地域・園では、これまで経験したことがない困難に向き合いながら、子どもたちのために日々保育をすすめています。
そこで、保育や子育てにかかわることはすべて実践的な課題にし、みんなでいっしょに考えてきた合研集会として、基調報告をまとめることとしました。
この基調報告をもとに、保育・子育ての今と向き合い、明日への一歩を踏み出していくために、学びと交流を広げましょう。

基調報告作成委員会 大宮勇雄(福島大学) 齋藤美智子(福島・さくら保育園前園長) 長瀬美子(大阪大谷大学) 中西新太郎(関東学院大学)

 

 

討論を豊かにすすめるために

第52回全国保育団体合同研究集会 基調報告(案)

常任実行委員会

 

はじめに-合研集会の意義と課題

全国保育団体合同研究集会(合研)は、1969年8月、日本の平和と民主主義を守り、子どもたちを大切に育てることを願うたくさんの保育や子育てにかかわる人たちによって誕生しました。合研集会は、子ども、保護者、保育者それぞれの権利が保障され、生活にねざし生活を変える保育の創造と、そのために必要な条件整備・制度の実現をめざして、毎年毎年、子どものこと、保育のことを、真剣に考えている人たちが全国から集まり、互いに学び、語り、つながり、はげまし合いを重ねてきました。

合研集会は、参加者がみんなでつくる集会として、それぞれが知恵も力もお金も出し合い、準備や運営、参加組織をすすめています。そして、保護者、保育者、研究者など、だれもが対等平等な立場で討論に参加し、参加者の報告や意見の交流の中から共通の課題や理論を引き出し、みんなの財産にしてきました。

私たちは、そんな52回目の合研集会を福島県で開催する予定で準備をしてきました。しかし突然のコロナ禍によって、集会の準備ができない、集まることができないという状況のなかで、残念ながら集会を中止せざるをえませんでした。

けれども、各地域・園では、いま、このときも、これまで経験したことがない困難に向き合いながら、子どもたちのために日々保育をすすめていかなければなりません。そこで、福島に参集しての集会開催はかないませんが、これまでも保育や子育てにかかわることはすべて実践的な課題にし、みんなでいっしょに考えてきた合研集会として基調報告をまとめることにしました。この基調報告をもとに、保育・子育ての今と向き合い、明日への一歩を踏み出していくために、学びと交流を広げましょう。

 

1.保育・子育て、生活が大変なのはなぜ?

①「大変だけどがんばる」だけではコロナ禍は乗りきれない

新型コロナウイルスの感染拡大が社会全体を揺るがしています。毎日の生活の場でどのように対処すればよいのか迷い、誰もが不安を感じていると思います。

なかでも子育て真っ最中の家庭や子どもたちを預かる保育現場の事態は深刻です。学校の休校が続くなかで、基本的に開所を求められた保育・学童保育の現場では、今まで以上に神経をすり減らし感染を防ぎながらの保育を求められてきました。

ふだんでもぎりぎりの人員でゆとりのない運営を強いられている保育所で、仕事量は増え、マスクも消毒液も足りず、密な接触を避けられない保育に、職員が不安どころか恐怖さえ感じるのは当たり前です。そんな中でこの数か月がんばり抜いた保育職員の努力に、何よりもまず、「ご苦労様です」と感謝したいと思います。

しかし、そんながんばりだけで保育を続けることには限界があります。しっかりした補償や支援のない状態で、「感染させぬようがんばって」と求められたら、保育所の運営は行きづまるにちがいありません。

また、これまで通りの保育が受けられない状態で、子育て家庭も困難に陥っています。幼児期の子どもだけを自宅においておけない家庭はたくさんあります。仕事を失い子どもを抱えてあっという間に日々の暮らしが壊れる、食事にも不自由する子育て家庭が出現しています。1人10万円の定額給付金ではとても足りません。第二波が始まったと言われる東京圏の様子を見れば、このことはよくわかると思います。

感染しない・させないよう注意して「自粛」生活を送るだけでは生活の危機を乗りこえることはできません。個々の家庭や保育所に、「がんばって、大変でも自衛して」と求めるだけでは、いまぶつかっている困難を解決できないのです。

「自分たちで何とか頑張れ」と訴えるだけの政治・政策は、「感染するもしないも自己責任」と言っているのと同じです。

 

②いま、子育ての現場はどうなっているか―コロナショックがあきらかにしたこと

コロナとの闘いは数か月単位、数年単位で続くと専門家は予測しています。事実を直視すれば、誰でも感染する可能性はある。そうならぬように注意しても「いつかはかかるかもしれない」と考えた方が現実的です。

だとすれば、たとえ感染してもしっかり対処してもらえるしくみ、感染の広がりに対処できる十分な備えがある社会をつくらなければなりません。広いスペースで子どもがゆとりをもって動ける、マスクや消毒液の不足を心配しなくてもよい、急病で休んでも大丈夫なだけ職員のゆとりがある……そんな保障、環境が整っていれば、「コロナ不安」はいまよりもずっと小さいはずです。

しかし、残念なことに、現実はまったくそうなっていません。政府の緊急(?)対策は場当たり的で、政府の説明は私たちが知りたいことを正確につたえていません。さまざまな事情から検査を受けたいと思っても、検査の態勢は自治体任せ、すぐには受けられないのが今も現実です。

感染が不安だから病院に行けない、感染者に接触する可能性の強い仕事・人は危険視され、その家族まで差別される事例が相次いでいます。「感染するのは悪いこと」という受けとめ方があるかぎり、そうした差別やいじめはなくならないでしょう。

そんな風潮を生み出しているのは、「自粛や自衛で感染を防げ」と求める政治、政策です。「感染者が出たら大変」という不安を感染防止に利用する無責任なやり方と言わざるをえません。感染が起きても対処できるしくみが貧弱なこと―それが問題ではないでしょうか。「こんな保障をしてこういう対処をするから、このように生活してください」と明確にていねいに説明できてこそ、政策と言えるのです。

「コロナ解雇・雇いどめ」が急増していますが、その多くが非正規雇用の女性です。パートで家計を支える子育て家庭の困難は想像できるでしょう。休校や休園による家計・育児の負担ものしかかります。子ども食堂など子育てを支援する団体の活動が困難になり、子どもの成長を支える力が弱くなっています。

感染防止の対策が、不利な条件や弱い立場におかれた人、家族をますます苦しませる―これはまちがっています。東日本大震災による原発事故で最も大きな被害を受けた福島県の方たちを置き去りにしているのと同じ政治のすがた、社会のすがたです。

「感染させるな」という圧力は、対面の接触、お互いの密なつながりが避けられず、それが必要でもある職種、職場に強くかけられています。医療・介護施設職員、物流を支える労働者、スーパー従業員、そしてもちろん、保育職員もそうした圧力の下で必死に働いています。

ところが、社会生活の維持に不可欠なこれらの仕事の多くは待遇が低く、職場の環境は一層過酷になっています。「保育は必要」と口では言っても、保育現場に十分な支援をしない政治が続くなら、医療や介護と同様、保育も崩壊しかねません。

子どもたちが成長する場であり、子どもの心理や行動に配慮した生活の場である保育所を、「感染させないための収容所」にしてはいけない。そうさせないためには、感染防止に努めながら子どもがのびのび育つための保障・環境を要求することが大切です。いまの環境、処遇で保育のいとなみを本当に維持できるのか、政治に、社会に問いかけ、行動することが求められています。

 

③子育て・保育を支えるつながりをいまこそ強め豊かに

「ウイルス感染を防ぐため人の間隔を2m空けてと」指示されれば、私たちは「そうか」と従います。けれど、それが「新しい生活様式」で、これからのライスタイルだと言われると、「そうなの?」と疑問を感じます。

テレビドラマや映画でのラヴシーンも一家団欒も、取っ組み合いのケンカも見られなくなるでしょう。そういうシーンはみな撮影できないからです。実生活でもそうなったら…「無縁社会」の寂しい生活になるのではないでしょうか。

感染症対策として物理的距離を保つ注意がいま必要なのは当然です。でも、同時に、そういう注意をみんなが一緒にできるために大切なつながりは何だろう―そう考えることも同じくらい重要なはずです。

コロナ不安のために誰ともつながらず閉じこもる、一人ひとりバラバラで助け合うことができない、一緒に喜ぶ・悲しむ経験も味わえない、子どもに近くで話しかけるのは厳禁…たとえ感染を防げても、それでは独房に閉じこめられているのと同じです。

誰かに声をかけること、誰かの話しを聞くこと、身体を動かすこと、一緒に過ごすこと…そのどれもが、人が人として生きてゆく上で欠かせないいとなみです。子どもたちの生活からそうしたいとなみが奪われることは子どもの権利の侵害です。

感染防止にとりくみながら、同時に、子どもも子育て家庭も、保育や子育てにかかわる人たちも、どうすればお互いのつながりをつくってゆけるのか考え、追求することが必要です。今までの窮屈な子育て・保育環境から、十分な人手と少人数の子ども、ゆったりと過ごせる環境を保障するよう要求することは、子育て・保育のつながりを強めるためにも、「コロナとの闘い」のためにも有効なのです。

 

④「コロナとの闘い」を社会の新しいしくみづくりにつなげよう

コロナ禍と呼ばれるほど、新型コロナウイルス流行がもたらした経済的・社会的打撃が大きかったのは、ウイルス・感染症対策を怠ってきた政策の結果と言えます。保健所を減らし、病床の稼働率だけを問題にして病床数を減らしてきたこと、介護・福祉職や保育職をきわめて低い処遇のまま放置してきたことなど、新自由主義と呼ばれる政策がすすめられた結果、今回のパンデミックのような緊急事態に対処できない社会になったのです。

変えなければいけないのはそんな社会のしくみです。「新しい社会の様式」こそ、私たちが追求し、政府や自治体に要求すべきことがらです。

コロナ不安が蔓延してきたこの数カ月は、同時に、私たちの生活の場、仕事の場で次々に生じた困難をおたがいの力で切り抜け、自分たちの声を政治に反映させようとするたくさんの行動を生み出してきました。

休業補償でも、雇用調整助成金でも、政府はそうした動きに押され、当初の方針を撤回し、また、方針の修正を余儀なくされています。不自由な生活の中でも声を挙げる人たち、世論があったからこそ、その力に動かされ、政策が変更されたのです。「コロナとの闘い」はこれまでの政治を変え、新しい社会のしくみをつくり出す大きなチャンスとなっています。

「コロナとの闘い」はまだまだ続きます。失業者が増え、広範囲に生活不安が広がり、子どもの成長環境が悪化し続ける…そんな社会にしないために、より広く強くつながる工夫を重ね、政治を変える行動を自粛するわけにはゆきません。

生命と健康を守ること、仕事・生業を保障して生きてゆけるようにすること、子どもの成長を支えること、それらの根っこにある考え方(理念)は生存権の保障です。だれもが安心して生活できるようなしくみ・保障をどうすればつくれるのかという原点を忘れて「コロナとの闘い」をすすめることはできないのです。

 

2.福島で共有したかったこと-いま踏み出すために

コロナ禍は、私たちに9年前からこれまで続く、福島の困難を思い出させました。
2011年3月11日、東日本大震災により東京電力福島第1原子力発電所の事故は起こりました。

 

①守るだけでは育たない

5月、窓にへばりつくようにして、外で泳ぐこいのぼりをうらやましそうに見ていた子どもたち。この年は、網戸が子どもたちの頭でおされ何度も壊れました。外で遊べない日々の中で、散歩にでかけ、道端の石ころを拾い、草花を摘み、虫たちに出会っては立ち止まっていた日々がとても大事で尊いことだと気づかされました。ようやく覚えた1歳児のコトバに「ホーシャノウ?」がありました。保護者から1歳児ならではのかみつきの悩みが出てきたのは、震災から半年も過ぎたころです。排泄の自立にしても、子育ての悩みはいつものようにあったはずなのに、大人たちは原発事故により放出された放射能のことで一杯でした。それは、放射能が命にかかわる事態だったからです。

毎日の日課となった施設内の放射能測定、給食食材の放射能測定は、明らかに仕事を増やしていました。それは、今、コロナ禍で消毒に追われている日常と同じです。

秋。よちよち歩きでころんだら心配だという保護者の思いは大きく、歩けるようになった子どもたちも乳母車に乗って外に出ました。ころびながら子どもたちは育つというのに、それが許されない環境になってしまいました。よちよち歩き、探索遊び、虫探し、どれもその時期ならではの大切な活動だったのに、です。

原発事故から1年半、放射能災害の報道は目に見えて少なくなりましたが、福島の保護者や保育者の苦悩は続いていました。

健康と安全の確保は最優先ですが、「かけがえのない今」を生き、外界と豊かにかかわることを通じて学び成長する子どもたちの権利を奪ってはならない。子どもを守るだけでなく、子どもらしい子ども時代を取り戻しながら育てていかなくてはならない。日々成長していく子どもたちを目の前に、放射線を防ぐ鉛の箱に入れておくだけでは子どもたちは育たないことを実感しました。

 

②福島から伝えたいこと

「守りつつ、しっかり育てたい」-震災以来、福島の保育者たち・大人たちががんばり続けてきた根っこには、こうした強い思いがあります。世界にも類のない事故後の9年間の体験から私たちが伝えたいことは次のことです。

第一は学ぶこと、学び続けることが粘り強い実践の出発点になるということです。

見えず、さわれず、匂いすらない放射能物質。「プールニハイッタラ、シムヨ」、「(散歩コースのお山を、閉め切った窓から見上げて)オヤマガナイテルヨ」。子どもも大人と同じように大きな不安に直面していました。

政府は情報の発信元としての信頼を失い、氾濫する情報の中に生活実態にかみ合った情報を見つけるのは難しいことでした。だから、私たちは自ら学びました。県内の各地で、かつ様々なレベルで自発的な学習会が行われ、どこも人があふれました。

保育の場でも、たえず学びつづけることが求められました。砂埃や花粉は吸いこんでも大丈夫か、転んだ傷口から放射能は入らないか、あそこの花・ダンゴムシ・取ってきたザリガニはさわれるか、散歩コースで危険はないか……こうした問題への答えは自分たちで探すしかなかったのです。

ある保育者が「自分の人生の中でこんなに真剣に学習したことはなかった」と話していましたが、学ぶとは、事実を直視し、困難の大きさから目を背けないことでもありました。「子どもを守りつつ育てる」という思いが、学び続けることを促しました。そして共に学ぶなかで、難題に粘り強く立ち向かうことが当たり前のことになっていきました。

二つ目は、分断とたたかうことの難しさと、乗り越えた時に生まれる「つながり」の力強さです。

経験したことのないリスクは、恐怖とともに怒りの感情を増幅させると言われます。不思議に思われるかもしれませんが、福島では放射能問題を話題にするのがきわめてむずかしくなりました。親しい者同士でもリスクの受け止め方が異なり、それが表面化することを避けようとしたからです。けれども家族の間ではそうはいかないので、避難の可否や子育て方針をめぐる意見の相違が発端となって、深刻な亀裂や別離に至る場合さえありました。

避難の是非、賠償の範囲、さまざまな風評被害、福島への偏見や差別…、いたるところに分断が生まれ、人々の間に孤立感やストレスが高じていきました。政府はそうした分断を解消する努力を怠り、むしろ利用しているようにも見えました。「原発は完全にコントロールされている。東京は福島から300キロ以上離れている」と五輪招致をアピールした安倍発言を、私たちはこれからも絶対に忘れないし、許すこともありません。

しかし保育の現場では、避けたい話題であっても皆で向き合わなければ「子どもを守りつつ育てる」保育を前進させることは不可能でした、いつから外遊びをするか、プールに入れるのか、今年の運動会を外でやるか等の行事の見直しや子どもの育ちのために“譲れない保育内容”とは何かを考えさせられました。職員間にも保護者間にも温度差があるのは明らかでした。しかし希望者のみ実施というわけにはいかないので、園としての合意づくりが必要でした。

これまでの園と保護者の間の「つながりの質」が問われました。園の決定を理解・協力してもらうという一方的なやりかたでは合意は作れません。保護者同士が、不安や異論を率直に語り合うことができるかどうかがポイントになりました。正解は一つという前提にたった話し合いではなく、互いを認めあったうえでの合意が追求されました。さまざまな不安や課題へのきめ細かな対策を講じながら、不安や孤立感の解消と信頼形成が優先される話し合いが続けられました。「この園だったから、保育者を続けられたのだと思う」と語っていた若い保育者には、つなぎ手としての成長がうかがえました。放射性物質の半減期から考えても、30年、100年単位の問題です。ひたすらつながり続けることが求められています。

三つ目に注目したいのは、全国・全世界から支援が寄せられ、それをきっかけに保育と多様な人々との間に新たな結びつきが作り出されたということです。

今世紀に入って、これまで経験したことがないような大災害や大事故が相次いでいますが、そうした事態には、個人や園内の資源だけで対応するのはむずかしい。専門家を学習会講師に招いたことを機縁に共同を強め、実用的で精密な線量測定器の導入につながりました。食材も生き物も散歩コースもすべて実際に「測定しながら保育する」ことによって、「子どもを守りつつ育てる」実践が飛躍的に豊かになり、地域の多くの保育園にも広がりました。科学と保育との共同によって、保育実践の新たな可能性が開けることが確かめられました。

子どもを守る地域の運動、農業や給食の安全性を守る運動、ボランティアや物資支援の運動、さらに完全賠償や事故責任を問う裁判運動、オール福島の原発反対運動など、出会ったことのない人々との共同の学びあいと、社会的な視点に立った保育実践が広がりました。

では、福島の保育者が、この困難を切り開く原動力は、何だったのでしょうか。

保護者とぶつかり、職員同士で通じ合えないこともありました。一人ひとりが自分のことでせいいっぱいで、ぎくしゃくしたこともありました。それでも、あきらめずに思いを言葉にすることで、人と人とが関わり合うことで、先に進むことができました。それはなぜでしょうか。

私は、この日本に保育者の学びの場である「合研」があったことも要因の一つだと考えています。合研に参加し続ける保育者がいて、学ぶ喜びを知り、どんなに環境が劣悪でも理想の保育を追求しようとする保育者の仲間がいたからではないでしょうか。私たちは、困難の時にこそ、発揮できる人間理解の方法を、子育ての科学を学んでいるのです。100年後の未来の子どもたちが自然の中でのびのびと遊べる環境を、あきらめないで作っていきましょう。

 

3.保育・子育ての希望を見出すために-「コロナ禍」の中で考える保育の役割

①「コロナ禍」の中で考える保育の役割

-子どもの生命・情緒を守り、子ども・保護者の生活を守るということ

2020年は、「自粛要請」「家庭保育への協力」の中で、普段とはまったくちがう状態での保育のスタートになりました。6月から「通常保育」に戻った園も多いかと思いますが、感染の不安と家族への心配をかかえながら数か月奮闘してきた保育者にはただただ感謝の思いでいっぱいです。

こうした事態が少しでも早く終息し、当たり前の日常が戻ってくることを望まないではいられませんが、同時に、このコロナ禍を通して、改めて「保育」がもつ本質と早急に解決しなければならない問題点が顕著になった気がしています。

第一に、保育が、生命、子どもの心と直に向き合う仕事であるということです。普段とは違う状況の中で、心身の不調、不安を訴える子どもも多くいたことでしょう。保護者の不安やイライラもあったことでしょう。その不安に寄り添い、悩みを聞き、必要な援助を行うということを通して、「保育」が生命、子どもの心と直に向き合う仕事であることを再認識した思いです。

感染拡大防止のために「三密」を避けることが求められますが、保育の現場では、三密を避けることはほぼ不可能です。そもそも保育の基準(面積基準、人員の配置基準など)が低すぎる上に、保育の内実を反映していないからです。また、乳幼児を対象としていることから、生活のさまざまな場面で、介助や援助が不可欠であり、「社会的距離」を保てるような場もなければ、職務でもありません。常に「感染リスク」の高い中で子どもの生命と情緒を守っているのです。

第二に、子ども、保護者の「当たり前の毎日」(これが最も大切なのですが)を守り、支える仕事だということです。「自粛期間」には、家庭保育への協力によって登園人数は少なかったものの、「どうしても保育の必要な」子どもは登園していました。その子どもの保護者は「どうしても出勤しなければならない」保護者です。それは、医療従事者であったり、行政関係者であったり、保育や社会福祉従事者であったりします。あるいは、テレワークの不可能な職場であったり、お休みすることで収入が断たれてしまう非正規雇用の労働者であったりします。厳しい状況の中でも、社会的使命をもって出勤している保護者を支えながら、子どもたちの毎日を守っているのが保育であるということです。これは、大きな災害後における保育の役割とも共通しています。

 

②コロナ禍の中で見つけた「本当に大切なこと」

長期にわたる緊張感の高い状況でも、保育園・保育者はさまざまな工夫をしながら保育を続けてきました。通常の保育に戻りつつある今、保育の現場からは、「たいへんだったからこそ、保育を考える機会になった」という声を多く聞きます。

ⅰ.子どもに会える、保育ができる喜び

7月のある日、「やっと子どもが全員そろったんです」と保育者がうれしそうに話してくれました。コロナ禍の中で、入園を遅らせたり、入園後家庭保育になったりしました。数か月、みんながそろわない状況で保育をしてきて、みんなが元気に登園したことがとてもうれしかったのだと思います。いつもは当たり前のことが当たり前ではないこと、みんなそろってあそんだり食事をしたりできることがこんなにうれしいことをどの保育者も感じたのではないかと思います。厳しい状況の中だからこそ、子どもに会える、保育ができる喜びに改めて気づいたのが今年だったと思います。

ⅱ.子どもにとって必要なこと―「何ができるか」を考える中で

「三密を避ける」「社会的距離を取る」「こまめに消毒する」など、保育の中で「〇〇はできるのか」「危険はないのか」など悩むことも多かったと思います。園庭であそんでいても「感染したらどうする!」と地域から抗議を受けたり、保護者から心配されたりする中で、あれもこれもできないと見通しが立たなくなったこともあったでしょう。その中で、「どうして散歩は必要なのか」「何に気をつければ〇〇はできるのか」と考えることも多かったことでしょう。

こうした検討を通して、「子どもにとって必要なこと」「この状況の中でも子どもに経験させたいこと」「何ができるか」を考え、精選することで、保育内容、保育環境、活動の形態、保育体制を見直すことができた園も多くあったと聞きます。これまで大切にしてきたことができなくなって残念に思いつつも、その中で「どうしても子どもたちに経験させたいこと」を見つけ出す努力と工夫が全国各地で行われたことは、これからにつながる大きな経験であったと思います。

また、本来なら、4月から年間指導計画にそって保育を行うところ、それができなかった今年は、年間指導計画や行事などを大幅に見直さなければならなかったことでしょう。たとえば行事は、単に年に数回の「お楽しみ」や「イベント」ではありません。その日を目標にみんなでがんばり合う「心を一つにする対象」であり、子どもと保護者を励ますものです。だからこそ、「危険だから中止する」のではなく、どのような内容・方法・配慮であれば実施できるのかを考えてきたのがこの数か月だったのです。

ⅲ.話し合って合意すること―不安を「納得」「安心」「信頼」に変える

保育内容を変更する、行事を変更する、保護者に登園自粛なども含めてさまざまなお願いをする。いつも以上に子ども、保護者と話し合い、深く考え合ってきた数か月だったのではないかと思います。

保護者も保育者も、それぞれに思いや考え方の違いがあるのは当然です。保護者や子どもが置かれている状況もさまざまであり、簡単に理解し合うことはできません。それぞれの思いがすれちがい、感情的になったり、時間がかかったりしたこともあったでしょう。しかし最後は「子どものため」「子どもにとって」の視点で合意し、実行してきたと思います。話し合い、合意を形成することは容易なことではありませんが、その中で、子どもや保護者と、また保育者同士の信頼関係が深まり、不安は「納得」「共感」「安心」「信頼」に変わっていきます。

ⅳ.自分への気づき―自身の「とらわれ」に気づいた

「通常の」保育ができないことにとまどいや不安を感じる保育者が多かったことと思いますが、その中で自分を見直すきっかけを得た保育者も多くいました。「これまで、〇歳だから、〇カ月だから・・・、と〇〇しなければ、〇〇できるようにしなければと思っている自分がいた」という声を保育者から聞きました。

厳しい状況の中でもいろいろな気づきがあり、その気づきを大切にしながら目の前の子どもとしっかり向き合ってきたからこそ、コロナ禍の中でも子ども・保護者を支え、保育を行うことができたのです。

 

③だからこそ合研と『ちいさいなかま』-新しいいっしょの形を模索する

集まることの危険性が言われ、研修や集会が「自粛要請」によって軒並み中止・延期される中で、保育者の「学びたい」「語り合いたい」思いがかなえられない日々が続いています。

第52回福島合研は残念ながら開催を見送ることになりました。みんなで福島に集い、語り合い、学び合うことはできなくなりました。だからこそ、今一度、集わなくても合研で築いてきたものを継承していく必要性を感じています。

今回、「Web合研」という形で発信することを決めたのも、合研で築いてきたものを継承する別な形を模索した結果です。「いっしょ」ということばは、同じ時間に、同じ場所で、同じことをするときにだけ使われるものではありません。異なる時間、別の場所であっても同じ思いを共有することで、「新しいいっしょの形」を模索していきましょう。

同じ場所に集うことができないからこそ、同じ思いをそれぞれが思い出し、考えてみましょう。保育者や保護者になった時の思い、子どもや保護者とのエピソード、これまでのうれしかったできごと、保育者同士で語り合ったこと、そして、合研の場で分かち合ったことなどを。そして、それぞれの場で、可能な方法で学びを続けていきましょう。厳しい時だからこそ、つながりと学び合うことを失ってはなりません。それこそが保育者としての成長を支え、子どもの育ち、保護者の生活を支えるのです。

そして私たちには『ちいさいなかま』があり、『ちいさいなかま』を通して、地域をこえて保護者が、保育者がつながることができます。再び集える日まで、それぞれの場所で、目の前の子どもと保護者のために、身近な仲間と力を合わせて、自分たちの保育を、子どもと保護者の毎日を守っていきましょう。コロナ禍で実感した保育環境、条件、処遇をよりよりものにしていくために、声をあげていきましょう。

 

4.だれもが人間らしく生きられる社会の実現と合研集会の課題

なぜ、合研集会は半世紀を超えて続いてきたのでしょう。「合研があったからこれまでがんばってこられた」「保育者としての自分の原点は合研」と多くの方が語るその魅力はどこにあるのでしょう。それをその「学び」の特徴という点から明らかにしたいと思います。そこに、誰もが人間らしく生きることができる社会を作るヒントがあるからです。

合研の学び、その第一の特徴は、一人一人が主人公となって語り合うということです。実践や地域の運動が自分の言葉で飾ることなく語られ、その場にいる皆さんがその喜びや悩みを自分のこととして分かち合い、そこに「解決に向けてともに考え合う学び」が繰り広げられます。

私たちが直面する問題は、社会や政治の在り方と深く結びついているので、ただちに解決・解消するとは限りません。しかし、自分から語り始めた議論は深い学びをもたらします。問題の焦点があきらかになり、そこに知恵が集積し、実践のコツがつかめます。関心が持続し、自分の課題が明確になっていきます。実践と学びの方向性がはっきり見えてくると、困難な問題があっても粘り強く立ち向かい、学び続けることを喜びとする新たな自分が誕生するーそんなふうにして語り合う学びが、粘り強い学び手を形作っていきます。これが「合研が私の原点」ということではないでしょうか。

「合研ならではの学び」の二つ目の特徴は、「垣根を超えた学び合い」が真摯に追求されてきたことにあります。

今日の政治は「分断と対立」を意図的に作り出すことをテコに、生活や労働の基盤を掘り崩し福祉や教育への権利の抑え込みを続けています。たとえば、公的保育を切り崩すために園と保護者を「利用者と経営者」として描き出し、民営化推進のために公立と民間の競争をあおり、「教育の国家統制」のために子どもだけを「問題の的」にするというように。

合研集会はすべての人に開かれています。園と保護者、公立と民間の間で、認可と認可外との間で、相互理解を深めるための話し合いを粘り強く追求してきました。保育事故や経営と処遇の問題など、話しにくいテーマを積極的に取り上げ、問題の本質を明らかにすることで共同の努力を広げてきました。

こうした「垣根を超えた学び合い」には時間を要しますが、その経験は、大きな視野や展望をもって実践し学ぶことを可能にし、従来の枠を超えた新たな実践を想像してきました。分断に抗して、幅広いつながりと地域全体を変える運動を広げてきたのは、そうした学びの経験だったのではないでしょうか。そして地域でのそうした創造的な実践が合研の仲間を励ましてきたのです。

三つ目の特徴は、すべての人に開かれた合研では、すべての子ども・保護者・実践者の権利を守り発展させることを参加者全員がめざしてきました。保育制度は誰もが、生活や労働、そして成長や学び合いを自分らしくすすめられるものでなくてはなりません。そうした「公的保育制度」の抜本的な拡充を求める運動と一体となって、合研での学びは進められてきました。これが「合研ならではの学び」の第3の特徴です。

そして、そのよりどころとなるのが現行の児童福祉法第24条1項です。この間、保育所は厳しい状況ではありましたが、緊急事態宣言が出て保育所を休園し、預かる子どもの数を大きく減らしても、基本的な保育所の収入は維持されました。また、その分の保育料の免除も行われることになりました。これは、受診者や利用者が減って収入が激減した医療現場や、介護や障がい者福祉の現場とは大きく異なる状況であり、私たちが毎年のように署名運動に取り組み、また制度改悪が幾度となく提起されても児童福祉法24条1項に規定された「保育の公的責任を守れ」と声をあげつづけてきたからこそ、生み出されたといえます。

このコロナ禍でも、また何度も起きた大地震や風水害においても、子どもたちとその家族を守り、働く職員を守るためには公の責任が必要だと、私たちが取り組んできた実践や運動の蓄積の上に私たちは立っていることを、あらためて皆で確認しましょう。そして、こうした取り組みを受け継ぐだけなく、私たちがコロナ禍の中で経験したゆとりある保育の実感を基礎に、さらに大きく声をあげましょう。学校で少人数学級導入を求める運動が大きく提起されているように、基準の改善など保育条件の抜本的な引き上げを求める声を広げ、より大きくする取り組みをすすめていきましょう。

いま全国から湧き上がっている処遇改善や条件改善を求める仲間たちの痛切な要求、豊かな学び合いを求める仲間たちの願いを受け止め、合研の輪をさらに広げていくことが求められています。感染拡大の中でさまざまな制約がありますが、他方ICTという道具を活用することで新たな学び合いも可能となってきています。

私たちが人間らしく生きられる社会は遠い未来にあるのではなく、どんな時でも主体となって語り合い、仲間とともに粘り強く学んで、すべての人たちの権利実現に貢献しようとする私たちの生き方そのものの中にあるのではないでしょうか。自分らしく生きるとは仲間とともに学ぶこと、誰もが誇りをもってそう生きていける社会こそ私たちがめざしているものです。

そんな社会をめざして、以下の課題をふまえて実践と運動を進めていきましょう。

①地域や園で、立場や世代をこえて保育・子育て・子どもを語り、学び合いの多様な場を無数につくりましょう。語り合い、学び合いを通して、保育・子育ての思いを共有し、声をあげていきましょう。

②どの子も差別されず、豊かな発達が保障され、どのような状況にあっても格差のない平等な保育が提供されるよう、そのために必要な制度・政策の根本的改善を求め、保育条件・処遇の全体的な引き上げをすすめていきましょう。

③保育実践(研究運動)と保育運動(要求実現運動)を車の両輪に活動をすすめ、よりよい保育と、それを支える平和な社会の実現をめざしましょう。

そして私たちは、これらの取り組みをゼロからスタートする必要はありません。私たちには保育園があり、地域の連絡会があり、研究会や組合があります。日常的なつながりを支える、合研集会から生まれた私たちの大切な宝物、『ちいさいなかま』があります。『ちいさいなかま』を読み、広げ、つながることから始めましょう。合研集会で再び会える日まで、『ちいさいなかま』で会いましょう。